読売新聞

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昭和11年(1936年) 3月3日付 「汚名に涙しげき野中四郎元大尉未亡人 皆様へ霊前からお詫び / 2・26事件」

 2・26事件の首謀者のひとりで、事件直後に自決した野中四郎元大尉の妻・美保子は3月2日、「お詫びの言葉」を公にしました。「(私は)夫のすることはみな正しいと思うほど信じておりましたのに、この度の挙に出で、このような結末をみました。私は夫の所信をどう考えてよいのか(略)わかりません。でも夫は終始お国のことを思いながら立ち、しかして死んだと思い、私は寸毫(すんごう)も疑いたくありません。しかしながら、いまは反乱軍の一員として横たわっています。それが私には悲しくて悲しくてなりません(略)」。誇り高い軍人だった夫が、一転クーデターの首領に――夫はなぜそのような決断をしたのか。「お詫びの言葉」からは、美保子の無力感と絶望がひしひしと感じられます。それにしても当時、軍人の妻が公に釈明するというのは、よほど世間からの圧力があったのでしょう。この「お詫びの言葉」が新聞に掲載された早くもその翌日、婦人運動家の神近市子は、読売新聞連載の随筆の中で「泣かされぬ女性はなかっただろう」「世に彼女を打つ鞭(むち)はないでありましょう」と書いています。「お詫びの言葉」は「野中 お詫び」、神近の随筆は「神近 野中」でキーワード検索できます。(も)

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