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title: 昭和11年(1936年) 3月3日付 「汚名に涙しげき野中四郎元大尉未亡人　皆様へ霊前からお詫び / ２・２６事件」
description: "\"読売新聞に掲載された過去の面白い記事を紹介するコラムです。明治から現代まで、情報を整理しキーワード付けをする中で出合った記事の数々を紹介します。"
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# [昭和11年(1936年) 3月3日付 「汚名に涙しげき野中四郎元大尉未亡人　皆様へ霊前からお詫び / ２・２６事件」](https://database.yomiuri.co.jp/megane/column/201800221)

 作成者: [読売新聞東京本社メディア局事業部データベースグループ](https://database.yomiuri.co.jp/megane/author/読売新聞東京本社メディア局事業部データベースグループ)｜2018.2.20

　

　２・２６事件の首謀者のひとりで、事件直後に自決した野中四郎元大尉の妻・美保子は３月２日、「お詫びの言葉」を公にしました。「（私は）夫のすることはみな正しいと思うほど信じておりましたのに、この度の挙に出で、このような結末をみました。私は夫の所信をどう考えてよいのか（略）わかりません。でも夫は終始お国のことを思いながら立ち、しかして死んだと思い、私は寸毫（すんごう）も疑いたくありません。しかしながら、いまは反乱軍の一員として横たわっています。それが私には悲しくて悲しくてなりません（略）」。誇り高い軍人だった夫が、一転クーデターの首領に――夫はなぜそのような決断をしたのか。「お詫びの言葉」からは、美保子の無力感と絶望がひしひしと感じられます。それにしても当時、軍人の妻が公に釈明するというのは、よほど世間からの圧力があったのでしょう。この「お詫びの言葉」が新聞に掲載された早くもその翌日、婦人運動家の神近市子は、読売新聞連載の随筆の中で「泣かされぬ女性はなかっただろう」「世に彼女を打つ鞭（むち）はないでありましょう」と書いています。「お詫びの言葉」は「野中　お詫び」、神近の随筆は「神近　野中」でキーワード検索できます。（も）

 

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