虫めがね

「西条八十が見た五輪」

 今年はいよいよ東京オリンピックイヤーです。きっと日本全体がオリンピックで沸き立つことでしょう。虫めがねでも「意外な五輪特派員」の話題を提供したいと思います。
 児童文芸誌「赤い鳥」に発表し曲がつけられた「かなりや」などの作品のほか、「青い山脈」「王将」などのヒット曲の作詞も手掛けた詩人といえば……そう、西条八十(1892~1970年)です。西条は1936年に読売新聞社の特派員としてベルリンに赴き、オリンピック観戦詩を紙上に発表しました。
 ヨミダス歴史館で「西条八十」を横断検索すると明治・大正・昭和が約700件、昭和の地域版が60件、平成・令和が約400件ヒットします。ちょっと多すぎるので、絞り込みましょう。
 まず明治・大正・昭和の件数部分をクリックして期間を限定します。そのうえで「再検索」の「絞り込み」をクリックし、「分類選択」の「大分類」内の「スポーツ」、さらに「詳細分類」の「スポーツ」を選択します。これで「西条八十」のキーワードが入った記事の中で分類が「スポーツ」の記事だけを抽出することができます。
 最下段の「上記の条件で検索する」をクリックすると件数は20件にまで減りました。上から順に見ていくと5番目に「ベルリン争覇の詩を電波で 西条八十さん出発」の見出しがありました。1936年のベルリン五輪と言えば、やはり日本人女性初の金メダルを獲得した前畑秀子。八十はこの快挙も詩にしています。
 その詩は同年8月12日朝刊「おお大和撫子!▽旭の御旗/オリンピック本社特派員・西条八十/ベルリン五輪」で読むことができます。少しだけ紹介すると「いまぞ祖国の誇りを負ふて 水に浮く浮くあの白帽子 晴れのブレストほのぼの燃えて 雄々し前畑彼女は泳ぐ」……続きが気になる方はぜひヨミダス歴史館で検索してみてください。(は)