虫めがね

「夢の海外旅行」

 今年は夏休みの海外旅行を諦めた、という人も多いことでしょう。コロナ禍が恨めしいばかりです。インターネットで簡単に予約できるほど、今や手軽なレジャーとなった海外旅行も、かつては手の届かない夢みたいなものでした。今は残念ながら少し夢に逆戻りしていますが、その昔、海外旅行が浸透し始めた頃の様子をヨミダス歴史館で見てみましょう。
 1984年4月4日読売新聞朝刊の連載「[海外旅行いまむかし]=21 ハネムーン 夢でなくなって15年」によると、海外旅行が自由化された1964年、大卒初任給が2万円ちょっとの時代に、日本航空のハワイ新婚旅行が「2人で80万円前後」。日本交通公社(現JTB)広報室の話では、「庶民の間で海外への新婚旅行が夢のような世界の話でなくなった」のが「高度経済成長時代の真っただ中」の1969年頃で、同年10、11月の海外ハネムーン申し込みは1000組2000人を超え、そのうちグアム島(4日間1人9万円~6日間1人10万6000円)が1748人を占めました。
 さっそく明治・大正・昭和を指定し、キーワード検索「グアム島 AND 新婚旅行」で、上記の1984年連載を裏付ける記事を見つけました。1969年6月28日朝刊「グアム島へ新婚さんはなびく 半年間で1500組も」が、「むかし伊豆郷、いまグアム島」の書き出しで、「これまで芸能人やスポーツ選手など一部の人たちに限られていた」海外新婚旅行の広がりを伝えています。当時、日本とグアム島を唯一結んでいたパンアメリカン航空は、2年前の1967年5月に週2便で同路線を開設後、利用者の増加に応じて増便を続け、1969年6月からついに1日1便毎日運航の盛況ぶりでした。(む)