クーベルタン男爵はフランスの貴族・教育家で、古代ギリシャで行われていたオリンピック競技会を近代によみがえらせた功労者です。
「クーベルタン男爵」で横断検索すると、明治・大正・昭和で112件、平成・令和で200件以上がヒットします。その中でもひときわ目を引くのが1937年(昭和12年)元日からの連載「オリンピック回想録」(全18回)。なんと、クーベルタン男爵自らが読売新聞に寄稿しているのです。
大昔の人のイメージでしたが、昭和にも健在だったんですね(惜しいことに、この年の9月に急逝するのですが)。
この連載では、近代オリンピック提唱の目的は新しい時代に即した教育制度をつくることだった(連載1回)、第1回の開催地はパリの予定だったが、準備会議ギリシャ代表の提案でアテネに決まった(同5回)、第1回アテネ大会の陸上競技100メートルの男子記録は12秒だった(同8回)など興味深い話がたくさん詰まっています。
中でも最終回は、1927年4月にアテネで行われた第1回オリンピアード開催記念碑除幕式の際にラジオで放送されたクーベルタン男爵のメッセージで締めくくられています。
「……私が及ばずながら力を尽くしたのはオリンピック競技を後世の人々にとって博物館の陳列品や映画にするためではありません。またオリンピック競技が商業上あるいは政治上の利害によって左右されることも私どもの希望ではありません……(オリンピックの)理想は、諸君が絶えず諸君の名誉を重んずる精神とスポーツ的没我心とを肉体的に達し得た高所まで高揚する時にのみ達成せられるものであります。未来は諸君に期待しているのであります」
連載の1年後に1940年東京オリンピックの返上が決まったことに思いを致すと感慨深いものがあります。(は)