5月5日の「こどもの日」にちなみ、「こども新聞」の歴史をヨミダス歴史館でひもといてみました。
日露戦争中の1905年6月26日、「予告 小供の新聞 7月1日より毎号掲載(社告)」が掲載されました。「面白く、おかしく、あどけない中に、いくらか智識も増し、品性も善くしたいのが『小供の新聞』の希望であります」と高らかにうたっています。
同年7月14日の[小供の新聞]「東郷大将」には、日本海海戦に勝利したばかりの海軍大将・東郷平八郎が登場。故郷の鹿児島・加治屋町の河原で子どもの頃、幼なじみだった黒木為楨(ためもと)陸軍大将と相撲をとった話を紹介しています。
100年前のパンデミック「スペイン風邪」がまだ収束していない1920年1月18日の[コドモノシンブン]では、コロナ禍の現在と同じような光景を伝えています。
「呼吸保護器」という見出しの記事で、「流行性感冒予防の注意という張り出しやビラ紙が、どこへ行っても眼につきます。マスクと言い、呼吸保護器(くちおおい)という、男は白や黒を、女は淡紅色や藤色のを鼻と口に当てています。全く呼吸保護器の世界となってしまいました(後略)」とあります。すでにカラフルな色合いのマスクがあったというのも興味深いです。
1924年8月27日[コドモノシンブン]では関東大震災から1年後の様子が「九月一日」というタイトルで掲載されています。
「九ガツ 一ジツ ハ ワスレ ラレヌ ヒ デス アノ オソロシカッタ キョネン ノ コノ ヒ ノ コト ヲ オモフ ト イマ デ モ ゾット イタシ マス ソノ オソロシカッタ ヒ ヲ ワスレヌ タメ ゲンマイメシ ヲ タベタリ デンシャ ニ ノラズ ニ ワザワザ アルイタリ イロイロ ナ コト ヲ ヒト ガ スル ヨウ デス(後略)」
電車に乗らずにわざわざ歩くといった例は、「帰宅困難対策訓練 川崎で200人参加=神奈川」(2012年10月14日)、「新宿—多摩 徒歩帰宅に挑戦 17日 夜通しで訓練=多摩」(2015年7月9日)など、東日本大震災後にも通じる試みですね。
100年以上も歴史がある子ども向けのページ。時代を反映した内容は、今読んでも、いろいろな学びがあります。(は)