読売巨人軍が4年ぶりにリーグ優勝を決め、球団創設90年に花を添えました。
前身の「大日本東京野球倶楽部」設立当時の紙面を中心に振り返り、面白そうな記事を拾ってみました。
★必然の誕生?
「プロ野球が始まるきっかけとなったのは、読売新聞が招待した1931年(昭和6年)と34年(昭和9年)の米大リーグ選抜チームの来日だった。ベーブ・ルースら伝説の名選手と戦うため、プロチームである『大日本東京野球倶楽部』が組織され、大リーグ選抜と試合を実施。34年12月にチームが正式に発足し、翌年、『東京巨人軍』の愛称が誕生した」<読売新聞50000号 熱戦 支える=特集>(2015年=平成27年=4月9日)には、このように創設の経緯が紹介されています。
球団誕生当時の紙面でまず目につくのは<日本にプロ野球生るるは必然 オドウール サンフランシスコで語る>(1934年1月19日)。
大リーグのニューヨーク・ジャイアンツで名外野手だったフランク・オドール(紙面ではオドウール)は「日本には今後1年以内に恐らく職業野球団が生まれると思う」「日本には大学や専門学校から優秀な選手がどっさり卒業しているし(中略)日本に於ける野球熱は非常なものだから十分職業野球団が立って行けること請け合いだ」と予測しています。
★沢村の活躍
1934年11月に来日した大リーグ選抜は16戦全勝と日本チームを圧倒しました。
しかし、静岡・草薙球場での第10戦では先発した17歳の沢村栄治(京都商業)が9三振を奪い、ルー・ゲーリッグのソロ本塁打のみに抑える快投を披露。
試合は0-1で敗れましたが、三振を喫したベーブ・ルースは「慢心せずに自重して行けば必ず大投手になる」と語っています<日米野球 1934年=第10戦 全米1―0全日本 沢村大投手戦を演ず>(11月21日)。
★いよいよ創立
<いよいよわが国最初の野球会社創立さる 会長に大隈侯・きのう創立総会>。
1934年12月27日朝刊で「大日本東京野球倶楽部」正式発足が報じられました。
資本金は50万円(現在の約15億円)で、取締役会長には大隈信常侯爵(大隈重信の養子で貴族院議員)が就任しました。
大隈侯爵の「我々一同の燃ゆる熱情と選手のすぐれた体格とをもってすれば、近き将来に於いて日本球界に一時代を画すべき日米両国の職業野球団対抗大試合を行うとともに、またやがては世界野球争覇戦を日米間に於いて華々しく挙行することができると確信する」との熱い言葉から90年後、日本がワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で3度も優勝していることを思うと感慨深いものがあります。
★新リーグ誕生へ
遠征から帰国後、巨人軍は全青森軍、函館太洋倶楽部、川崎コロムビア軍といった全国各地の社会人チームなどと対戦し「プロ野球」の強さ、魅力をアピールしていきます。
これを受け、大阪では阪神電鉄が職業野球団結成を決定しました<“職業野球”時代来る 東京巨人軍の人気に刺激され、いよいよ大阪にも誕生>(10月9日)。その後も名古屋などでプロ球団設立が続き、ついに1936年(昭和11年)、日本初のペナントレースがスタートすることになりました<職業野球リーグ戦9月開幕! 3都7チーム一丸に「全日本職業野球連盟」>(2月6日)。
日本にプロ野球が誕生した当時の紙面からは、新しい時代を切り開いていこうという熱い思いがひしひしと伝わってきます。WBC優勝、大谷翔平選手や今永昇太投手のメジャーリーグでの活躍など、90年たった現在にも、その熱はしっかり受け継がれているのではないでしょうか。(は)