「水戸納豆が誕生したのは、1889年(明治22年)の水戸駅開業の時といわれる」「駅弁と一緒に並べたアイデア商法が当たり、飛ぶように売れた」。それから1世紀を経た1990年(平成2年)。茨城版で元日にスタートした連載[なっとう新時代]は、「線路に乗って全国にその名を響かせてきた本県産の納豆は質、量ともに日本一を誇る」と、その間の発展を要約しました。研究最先端、イメージ戦略、異業種参入、経営近代化などをテーマに全9回、現状に甘んじない業界の奮闘を伝えました。
1度の連載では語り切れない、というわけで、同年5月から6月にかけて連載第2弾[なっとう再考](全10回)が掲載されました。「黄門さま? もちろん食べていましたよ」とは、5月30日茨城版の第2回の書き出し。水戸藩の料理の再現に取り組んだ大塚子之吉さん(故人)が、2代藩主・徳川光圀、つまり水戸黄門に献上された納豆を史料から再現。「黄門納豆」と命名し、“両雄”の共演が実現しました。粘りは控えめ、黒大豆を南蛮渡来のコショウで味付け。現在の糸引き納豆とはかなり様子が違いますが、大塚さんは「栄養価十分で、味も素晴らしい」と太鼓判を押しました。
「いじめなど ないよボクらの 幼稚園 納豆みたいに 手をつないでる」。1997年(平成9年)6月14日茨城版によると、納豆メーカー「丸真食品」が当時の社長の発案で、納豆を詠んだ短歌や俳句を全国から募集し、入賞作品を収録した句歌集「納豆賛歌」を出版。「いじめなど~」は短歌の最優秀賞で東京の親子の合作。国内のみならず、海外在住の日本人からも計8917作品が寄せられました。素朴で心温まる作風が目立ったそうで、これは納豆のイメージそのものと思いませんか?
庶民の味方と庶民の味。茨城版を読んでいて、黄門さまと納豆の甲乙つけがたい人気に納得がいきました。(む)