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「聖火と戦火」

 「聖火・五輪の旗日本に来る! 東京招致ついに勝つ」(1936年8月1日読売新聞朝刊)。1940年東京五輪の開催決定を伝える歓喜の見出しです。残念ながら、戦火の拡大で念願の聖火は1964年までお預けとなりますが、“スポーツと平和の祭典”にかけた関係者の熱意は、ヨミダス歴史館で見られる当時の紙面にしっかり刻まれています。
 大勢の努力が実を結んだ1940年東京五輪。中でも国際オリンピック委員会(IOC)委員だった柔道家・嘉納治五郎は招致成功の立役者でしょう。1931年6月11日朝刊「第11回オリンピック大会はベルリンで開催と確定 次回は東京でと日本委員奔走」に早くも登場。既に70歳を過ぎていましたが、険しい招致活動を走り抜きました。
 開催決定までの招致合戦も苦労の連続でしたが、その後の“東京死守”の闘いは更に激烈でした。1937年7月に日中戦争が勃発。1938年2月13日朝刊「東京大会不参加 英体協委員会で決議す」「戦争国の開催拒否」、3月8日第2夕刊「事変継続する限りオリンピック開催中止が妥当 杉山陸相が重大言明す」……東京開催が国内外で厳しさを増す中、決着はIOCカイロ総会に持ち込まれます。
 「遊覧船をナイル川に浮かべ委員諸公はこれに乗って船を上流へ遡らせながら会議をやり、暇なときには途中の名所を見物して歩こうというロマンチックな趣向」(1938年1月27日朝刊「カイロの日程決まる」)。緊迫の情勢とは裏腹にホスト国のエジプトが用意したのは、ナイル川での船上会議という優雅な舞台でした。読売新聞も3月10日の開会式から、現地特派員の記事を連日掲載しました。
 「日本の正義、船上会議を制す 東京大会ついに安泰 反日論議に波乱の末正式確定」という感極まった見出しが躍ったのは17日夕刊。「日本代表嘉納治五郎氏の準備報告に基づき、各国委員から質問続出したうえ反日感情を露骨に表すものもあり論議を闘わすこと数刻、ついに日本の正義は貫徹して」果たした“東京死守”。しかし更なる波乱が待ち受けていました。
 「カイロから帰国の船中、嘉納治五郎翁急逝す 風邪に肺炎を併発」(1938年5月5日夕刊)。享年77歳。東京五輪に文字通り命をささげた嘉納翁に「恩師を憶う 金栗マラソン氏の追悼談」「五輪旗哀し“喪の凱旋”」といった惜別の記事が後を絶ちませんでした。
 日中戦争はおさまる気配がなく、嘉納翁の死から2か月後の1938年7月15日、東京五輪中止が閣議で決まります。16日第2夕刊「物心総動員更に強化 建設国策完成へ邁進」には、挙国一致して戦争長期化に備えるための処置と説明されています。戦火は勢いを増し第2次世界大戦に。1940年に続き1944年も五輪は中止でした。
 さて、80年の時を越えて2020年東京五輪。聖火は来年3月12日にギリシャで採火され、日本へ来るとのこと。明々と燃える“雄姿”が待ち遠しいですね。(む)

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