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「向田邦子没後40年」

 今月で脚本家・作家の向田邦子さんが亡くなって40年になります。1月には東京で向田さんの服や万年筆、食器など300点を展示した特別展も開かれました。今回は過去記事でも回顧してみたいと思います。
 1969年の「[作者登場]フリーの脚本家 向田邦子 オトナ向きの喜劇が大好き」(5月23日朝刊)で、「この商売にはいったのは、新聞社の人に、一本書けば、あんたの給料くらいくれるよっていわれまして、日本テレビの“ダイヤル110番”を書いてみたら、ちょうどそのときホンがなかったらしく、採用されて1万5000円もらったのがはじまりなんです」と答えているので、まさに脚本家になりたての頃の記録といえそうです。
 1974年には「“高視聴作家”向田邦子さん」(11月26日夕刊)の記事が。「私はこれまで、成功者とか英雄は書いていないんです。だめな人間とか、どこかいたらない人、また汚い茶の間や中以下の生活を舞台に取り上げていました。それが平均的に好まれた、といえるのではないでしょうか」と話し、記事に付けられた写真にも自信と貫禄のようなものがうかがえます。
 ドラマ「寺内貫太郎一家」が人気を博してしばらくののち、向田さんは乳がんを患います。手術から3年ほどたって初のエッセー集「父の詫び状」を出版。そして、老いた父の愛人問題や4姉妹の男性問題などを描き、代表作となったドラマ「阿修羅のごとく」が話題を集めました。当時のインタビュー「[ちゃんねるゼロ]向田邦子さん 家庭内のしがらみを克明に」(1979年2月11日朝刊)では、「人間の裏側、それを大げさでなく書きたいですね」と語っています。
 向田さんはその後、小説も書くようになり、1980年には第83回直木賞を受賞しました。贈賞式の記事(「ファイトさわやか贈賞式 直木賞の志茂田さん、向田さん」=8月8日夕刊)によると、「大病以来、これからの人生にそれほどの幸せはないと思ってダラダラ来ましたが、そこへこの受賞です。テレビに小説に、たのしいものを書いていきたい」と、うれしそうです。
 ところが、そのわずか1年後の1981年8月、台湾での飛行機事故で帰らぬ人になったのです。51歳の若さでした。
 昭和が遠くなり、向田さんの活躍した時代を知る人もだんだん少なくなっていますが、数々の作品の登場人物は、今なお魅力的です。もし向田さんが事故に遭わず元気でいたら91歳。どんな小説や脚本を生み出したのでしょうか。(は)
 

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