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コラム「虫めがね」

「アイスクリーム・クロニクル」

megane_illust230726 汗ばむ季節、アイスクリームがおいしい時期ですね。

 ところで、今から100年以上前の明治、大正時代にも日本の人々はアイスクリームを楽しみ、涼を得ていたことをご存じですか? ヨミダスでは、昔の人々のそんな日常の姿もうかがい知ることができますよ。

 

★アイスクリームの夜明け

 「アイスクリーム」が紙面に登場するのは読売新聞が創刊してまだ間もない1870年代から。氷問屋や、当時東京・京橋にあった「風月堂」などが続々と「上等アイスクリーム」「氷菓子」などの広告記事を出しました。

 1886年(明治19年)6月17日朝刊の<銀座から新橋へ移転の三河屋支店がアイスクリーム販売開始>の記事には、西洋苺、梨、レモン、茶、海苔(!)、コーヒー、ベルモット等客の好みに応じてアイスクリームの中に入れいずれも類なしの上風味、とあります。現代にもある、その場で果物などを加えて作る方式のジェラートショップに通ずるものがありますね。

 それにしても「海苔アイス」とは、140年前のメニューでもむしろ斬新な気がしてしまいますが、海苔の香ばしさと甘さの組み合わせでどんな味になるのか、興味深いです。

 

★アイスクリームは「飲み物」?

 また、この頃の紙面にはアイスクリームを「飲む」という表現や、アイスクリームを「飲み物」とする表現がちらほら見られます。

 1915年(大正4年)7月24日朝刊<[婦人付録]アイスクリームの別れ>では、おそらく寄宿舎生活と思われる女学生たちが、夏休みでそれぞれの故郷に帰省する際にクラスメートと別れを惜しみ、

 「ミルクホールへ連れ立ってお互いの好物アイスクリームを高く捧げながら『ほんとに皆様とお別れするのはわずか2か月の短い月日なんですけれど何となく悲しく涙ぐまれてよ』『ほんとにそうよ』『私も』『私も』と言い交わしながら『ではお互いの健康を祝しますわ』カチンカチン(コップの触れる音)」

 という描写に、振り袖に袴の女学生たちがワイングラスのような器に盛られた、ちょうど長崎県名物の「ミルクセーキ」を思わせる形のアイスクリームを、“乾杯”しているイラストが添えられています。とても「ハイカラ」です。

 当時のアイスクリームの作り方は、「牛乳と玉子と砂糖をよくかきまわしまして湯せんにしてよくかき廻し少しどろどろになりましたら鍋をおろし匂い水を少し入れて器に入れこの器が入りまして周りが少しあく位の桶へ氷と塩をまぜたのを入れて前の器を回しますとじきに出来ます」(1907年7月23日朝刊<[その日その日 素人料理帳]=51>)という地道なもの。

 冷凍庫やフリーザーの一般的でない時代のこと、もしかしたらこのような手作業では現在のアイスクリームのようには固まりきらず、時には半ば流し込むように「飲んで」いたのかもしれませんね。

 

★アイスクリームがある幸せ

 その後、戦禍が拡大すると砂糖が配給制となり、1941年(昭和16年)のアイスクリームを含む菓子類向けの砂糖配給量の増減を報じる記事を最後に、太平洋戦争中はぱったりと「アイスクリーム」の文字は紙面から消え去ってしまいます。

 再びアイスクリームが紙面に登場するのは戦後の1946年(昭和21年)。アイスクリーム製造機械の広告や、「不二家」や「雪印」、「森永」などブランドの製品化されたアイスクリームの広告が紙面を賑わせ、新しい時代への希望を象徴するかのようです。

 アイスクリームが食べられる幸せをヨミダスで実感しながら、夏の味わいを楽しんでいただければと思います。(真)

 

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