渋沢栄一すごい人
実業家・渋沢栄一(1840~1931年)が注目を浴びています。放送中のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公であり、2024年には福沢諭吉の後を継いで1万円札の顔になります。近代日本のリーダーの一人として読売新聞にも頻繁に登場しました。とにかくすごい人です。
1万円札の次の顔に決まったことを報じた2019年4月9日夕刊「紙幣20年ぶり刷新」によると、「約500社もの企業の設立・育成に携わった」「日本資本主義の父」。ヨミダス歴史館の平成・令和を、「渋沢栄一 AND 資本主義の父」で全文検索すると、150件以上もヒットします。「資本主義の父」を「経済の父」に変えても30件以上あります。「座頭市」で有名な勝新太郎が渋沢を演じた映画「帝都物語」(荒俣宏原作)の筋書きは、「怨霊によって帝都破壊をもくろむ超能力怪人と、それをはばむ渋沢栄一ら近代日本史の実在の指導者」(1988年2月26日夕刊[論点88])。フィクションの世界でも貫禄十分です。
明治・大正・昭和に遡り、「渋沢栄一」でキーワード検索すると、3000件を超す記事がヒット。読売新聞が創刊された1870年代から既に第一線の経済人として紙面に現れます。日本初の銀行「第一国立銀行」頭取として株主総会で営業報告(1876年1月23日朝刊)、東京商工会議所の前身「東京商法会議所」初代会頭に選任(1878年8月3日朝刊)など財界トップを走ります。「頭取」とか「会頭」と言われると、年配の人を想像してしまいますが、いずれも当時30歳代。今なら若手実業家ですね。
活躍は長く、69歳の時には初の渡米実業団の団長を務めました。3か月かけて全米53都市を回り、船で帰国する際の1909年12月17日朝刊[社説]は、「壮年の団員中には、疲労のために各種の招待を辞退した人もあるようだが、老年の渋沢男爵の元気はかえって壮年者を圧し、ほとんど毎回の招待に出席して荘重かつ有力な演説を試み、十分に尽くすべき所を尽くした」と、高齢をものともしない行動力を称賛しました。(む)