「背中の攻防」
夏の楽しみと言えば海水浴。夏の浜辺のにぎわいは昔から変わりません。が、海水浴を楽しむ人たち、特に女性の装いはずいぶん変わりました。ファッション性と機能性を高めつつ、総じて小型化していった水着の進化。その初期のせめぎ合いをヨミダスでたどってみます。
水着姿の写真は、100年以上前の大正時代から散見されます。1917年7月31日朝刊「潮に浸るおとめ」では、背中がすっぽり覆われたワンピース型。日焼けの心配が少なそうです。1925年7月23日朝刊「アメリカで流行の海水着」は、水着と言われなければ普通の服にしか見えません。西洋でも水着はまだ“大型”が主流だったようです。
昭和に入って1935年3月19日朝刊「露出時代来る! 背中のある水着は嫌われる?」が、「臆病なお嬢さんを躊躇(ちゅうちょ)させていた背及び肩の露出が、今年は勇敢に一般化」「背中のある水着を着ることが、かえって先端女性を躊躇させるでありましょう」と宣言します。しかし、翌1936年5月18日朝刊「模様と柄もの 型もおとなしくなった」によると、「ここ1、2年流行の極端に背部を露出した物は、今夏はよほど少なくなりました(高島屋調べ)」。さらに翌1937年5月3日朝刊「思い切った露出型と復古型」では、「二つがはっきり対立しています」と、流行の一進一退を伝えています。
水着の小型化と言えばビキニですが、この呼び名、なんと原爆実験から命名されたとか。興味のある方は、2015年6月30日東京夕刊[はじまり考]をご覧ください。(む)