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虫めがね

「パンダ来日50年」

 megane_illust1026上野動物園の双子「シャオシャオ」と「レイレイ」が人気のジャイアントパンダ。

 今年は「カンカン」と「ランラン」が初めて来日してから50年になります。紙面を飾ったパンダを振り返ってみました。

 「パンダ」で検索して最初にヒットするのは、意外にも戦前の1938年(昭和13年)5月1日朝刊の「ワタクチのお姉さまなぜ亡くなったの 毎日泣いているパンダ」。アメリカ・シカゴ動物園の2頭、棒きれでノドを傷つけて死んでしまった「スー・リン」と、ハンカチをかんだり、バスケットに隠れたりする「メメー」の写真が計7枚も掲載されています。

 1972年9月29日、田中角栄首相が北京で日中共同声明に署名し、その後の会見で二階堂進官房長官は、中国から2頭のジャイアントパンダが贈られたことを発表しました(「パンダ夫妻プレゼント ひと足早く“動物大使” 上野動物園大喜び=29日夕刊」)。

 これをきっかけに、日本では「パンダ・ブーム爆発 オモチャ見本市の人気独占 デパートは日に100個売る」(1972年10月4日夕刊)という事態に。

 10月26日夕刊には「みなさんよろしく パンダ大使、28日来日 ぼくカンカン わたしランラン」と名前も伝えられ、「来ました!パンダ大使 VIPなみ厳戒の中、上野動物園へ」と29日朝刊1面で大きく報道されました。

 その後来日したフェイフェイとホアンホアンのペアから、1985年、待望の赤ちゃんが生まれます(「ギャーギャー」ピンクの赤ちゃん 13年の夢、ホアンホアンお手柄=6月27日夕刊)。「ああそう、よかったね。お目でたいことで」という中曽根康弘首相の談話まで載るフィーバーぶり。

 日本での出産第1号でチュチュ(初初)と名付けられた赤ちゃんパンダは、残念ながら生後43時間で死んでしまいましたが、翌年6月にホアンホアンは再び出産、今度は順調に育ち、「トントン(童童)」というかわいい名前がつけられました(「トントン」命名とんとん拍子 愛くるしい響き=86年12月1日夕刊)。

 昨年6月には双子の「シャオシャオ」「レイレイ」が生まれるなど、上野動物園のパンダは注目の的ですが、和歌山のアドベンチャーワールドでは2000年~2020年に、計17頭ものパンダが生まれてすくすく育っています。

 なぜ、和歌山ではこんなにもパンダが順調に生まれ、育つのか。「[世界in‐depth]世界のパンダ 白浜が救う 中国も注目の繁殖法」(2018年2月7日朝刊)では、その秘密に迫っています。(は)

 

 

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