「節分ヒストリー」
年が明け、スーパーの店頭に節分の豆まき用の福豆が並ぶ季節です。節分にまつわる明治・大正時代の記事をヨミダス歴史館で振り返ってみました。
★時代遅れ?
「節分」のキーワードで検索して出てくる最も古い記事は、1875年(明治8年)2月7日朝刊の投書欄なのですが…。
「今月三日は節分にて世間の人々が豆をまき獅子を舞(まわ)し門口には赤鰯柊をはさみ以前と少しも変わりませんが…(中略)…開化々々というは畢竟(ひっきょう)かような馬鹿げた事を止めて銘々たしかな事に心がけねば成りませんが兎角(とかく)豆まき棚機(たなばた)月見または彼岸などといって当こともないものに時を費やすものが多くこれらの馬鹿々々しいことは大がいに皆さんも止めてはどうでござりましょう」
なんと、驚くべきことに、文明開化の時代なのだから節分をはじめ七夕や月見までも、時代遅れの「馬鹿げた事」なのでやめてしまってはどうかという提言が投書されています。
その翌年、1876年(明治9年)1月5日朝刊の投書欄にも、
「福はうち鬼は外と大きな声を出してどなりちらす旧弊先生がこの開化の御代もはばからずに今年も相替わらず…(中略)…バラバラボロボロと大騒ぎを成さりましたがなんと無益(むだ)なわけでは有りませんか」「日本中の家数が七百十万千三百三十軒として一軒で二合づつの豆をまくと見てこの大豆の高が一万四千二百〇二石六斗六升で有ります…(中略)…一円に付き二斗五升としてこの金高を積もってみると五万六千八百十二円六十四銭ほどに成ります、ナント大そうな金高ではありませんか」
と、国内でまかれる豆の総量を計算し、金額に換算して非合理性を主張する人も。
★とんでもない慣習
現代では考えられないような慣習もあったようです。
「節分の夜人知れず自分の平生用いつつある枕や褌(ふんどし)を路端の四ツ角に捨てれば其年(そのとし)の厄落としになるという迷信は江戸時代より行われ年毎(としごと)に節分の翌朝には到る処の往来に女の褌の打ち捨てられたるもの夥(おびただ)しく」(1913年=大正2年=1月28日朝刊)
節分の次の朝には、まるで嵐の後のように厄落としのため投げ捨てられた下着や布類が街中に散乱する光景が広がっていたようですね。あまりの様子に、警察も出動して取り締まりが行われるようになったようです。これでは、旧弊な迷信として追放しようとしたくなる気持ちも分からなくもない、といったところでしょうか。
★臨時列車を運行
明治末期に東京から成田までの鉄道が開通し、直通列車の運転が開始されると、「成田山新勝寺の節分会に成田鉄道が臨時汽車運行」(1902年=明治35年=1月30日朝刊)、「成田山新勝寺の豆まきで往復割引乗車券発売 総武、房総、東武の各線」(1908年=明治41年=1月22日朝刊)などの記事から、成田山新勝寺の節分会に出かける人々向けに臨時列車を増発したり、往復割引切符を発売したりと、鉄道各社が競い合って旅客を誘致している様子がうかがえます。
★スターが豆まき
1908年(明治41年)1月30日朝刊「節分の豆まき式で成田へ臨時列車」ではこの年、成田山新勝寺の豆まきをする「年男」に当時の大相撲力士「国見山」や、歌舞伎役者「尾上梅幸」の名が見られます。力士やその時代のスターが豆まきをするイベントはこの頃にはすでに確立していたようですね。
その後も、1929年(昭和4年)2月4日朝刊の「裃にネクタイの歳男 代議士、画家等で賑った増上寺」では、芝増上寺で代議士、画家、重役、元横綱太刀山ら力士など総勢200人の年男が参拝者に豆をまく様子が、また1935年(昭和10年)2月5日朝刊「鬼をたちまちノックアウト ピストン堀口・豆撒きに登場 節分のマネキン珍景」では、「拳聖」と呼ばれ当時日本中で大人気だったボクサーが上野護国院で大群衆に向かって豆をまく様子がそれぞれ写真付きで報じられ、年々豪華さを増していく節分会の様相を伝えています。
★「俗悪堕落」
これには1934年(昭和9年)2月4日朝刊の「[日曜論壇]遊戯化された節分会 神社仏閣の俗悪堕落」で「神聖厳粛なるべき神域や仏殿において男女の俳優、芸者その他つとめて世俗に人気ある物を聘(へい)して年男年女と称し、以て大衆を誘引魅化せんとする傾向の著しいことである」、1936年(昭和11年)2月4日朝刊の「俗化しゆく節分会」では「今日全国多数の寺院に行われている実情はどうか。俗化というよりも一種の興行ではないか」等々の嘆きがみられます。
★巨人軍選手も
それでも、戦後の1952年(昭和27年)2月3日夕刊の紙面には相変わらず「あすは節分 派手を競う 商魂練る社寺」の見出しが。護国寺や浅草寺、日枝神社など、各寺社の行事が紹介され、巨人軍をはじめとしたプロ野球選手の面々も年男に名を連ねています。
一時は旧弊な年中行事として追いやられかねなかった節分も、鉄道や行楽の商戦と結びつき、庶民のレジャーとして定着していったのかもしれませんね。
コロナ禍に翻弄されたこの数年。今年こそは疫病という「鬼」の退散を祈って、節分の今昔に思いをはせながら豆まきをしてみてはいかがでしょうか。(真)