「Jリーグ30年」
昨年開催されたサッカー・ワールドカップでは日本がドイツ、スペインを撃破、「ドーハの歓喜」とたたえられ歴史に残る戦いとなりました。
日本サッカーの発展、強化を担ってきたプロサッカーリーグ「Jリーグ」は1993年(平成5年)に開幕し、今年で30年になります。ヨミダスで当時の空前のフィーバーぶりを振り返ってみました。
★「Jリーグ元年」の熱狂
1993年が明けて早々、読売新聞元日紙面では<「Jリーグ元年」キックオフ “W杯の常連”目標に>との見出しで「オリジナル10」と呼ばれる参加10チームを紹介しています。
同年1月5日東京朝刊では、<Jリーグ元年 おれたちに任せろ!アピール度“満天”のキラ星たち>と特集を組み、北沢豪(ヴェルディ川崎)や井原正巳(横浜マリノス)ら各チームの注目選手を紹介。3月26日大阪朝刊<[希望の春]プロサッカー「Jリーグ」 華麗な助っ人たち>でも、ドイツ代表でW杯優勝経験のあるリトバルスキー(ジェフ市原)などJリーグ草創期を盛り上げた海外トップスターの参戦を大きく特集し、期待感を盛り上げました。
記念すべき開幕戦の見出しは<Jリーグ開幕 プロの技だ! 揺れる人波、応援旗「国立」もお茶の間も燃ゆ>(5月16日東京朝刊)。「Jリーグ開幕ゲームが行われた15日夜の東京・国立競技場は、6万人の観客で埋め尽くされ、プロならではの華麗なプレーに、スタンドは熱狂のるつぼと化し」、ロックバンドの演奏やレーザー光線などの演出の中、華々しくスタートしたヴェルディ川崎対横浜マリノスの試合を伝えています。
この日の入場券の抽選倍率はなんと最高265倍という「文字通りのプラチナ・ペーパー」。当日券の販売はないにもかかわらず、開門時に数百メートルの列ができていたそうです。
その後も、7月11日東京朝刊の<Jリーグ予約で電話パンク>によると、後期チケット発売当日、前期優勝した鹿島アントラーズのホームタウン・鹿島町(現・鹿嶋市)周辺ではプレイガイドへの予約電話が殺到、一般電話回線がつながらない騒ぎに。
5月18日大阪夕刊<Jリーグのブーム加速 お守り「ミサンガ」爆発的人気 応援歌のCDも大売れ>によると、「スーパースター、ラモスが火付け役となった『ミサンガ』の売り切れが続出。買い求めるのは、女子高生や中学生がほとんど。寝ていても入浴中も手首につけっ放しにし、切れた時に願いがかなうという言い伝えが心をとらえるようだ」とファッションにも大ブームを起こしました。
★「ドーハの悲劇」を経て
この年には、日本代表がW杯アジア地区最終予選の最終日、イラク代表戦のロスタイムで同点に並ばれ、悲願である本戦出場をあと一歩のところで逃した「ドーハの悲劇」も経験しました。
10月30日の社説は、この敗退について「終了間際まで勝ちの展開だっただけに、そのままへたりこんだ選手同様、テレビ画面の前で、ぼうぜんとした人も多かっただろう」としながらも、改めて「Jリーグ元年」を振り返り、「現代は、自分らしさや、自分なりの意味を求める時代だ。(中略)競争と効率に重きを置く管理社会化が進む中で、『伸び伸びと、かつ個性的に表現する』サッカーに、我が身を重ね合わせ、夢を託しているのだと思う」と、その後のサッカー文化の定着に期待し、スポーツ界全体に活気をもたらす希望を見いだしています。
日本列島を駆け巡ったJリーグブーム。その熱が後押しをして、世界で活躍する日本選手を育て、およそ30年の時を経て「ドーハの歓喜」へとつながったのかもしれませんね。(真)