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虫めがね

「卒業」

megane_illust0329 卒業式を迎えた皆さん、おめでとうございます。卒業は人生の節目。楽あり苦ありの卒業ドラマを、ヨミダスでたどってみました。

 「卒業証書を懐にして足ひとたび校門を出ると、生きた世間がぎゅっと羽交い締めに締めつける」。1912年(明治45年)6月20日~7月13日朝刊の連載[卒業後 結婚と就職](全14回)が、当時の大卒の進路を伝えています。第1回の女子英学塾(現・津田塾大学)は、「外交官の妻の養成所」と信じられていましたが、実際には外交官夫人は3人にすぎず、女学校の英語教師が多かったそうです。第14回の東京帝国大学(現・東京大学)の場合は、専門学校や私立大学の卒業生と比べられ、「雇う方でも気位が高くて使いにくい人よりは、給料が安くて役に立つ方へ手を出す」。名門校ゆえに敬遠されることもあったようです。

 「あの食堂がなかったらとっくに飢え死にしてましたよ」。1978年(昭和53年)12月26日夕刊「懐かし学食おばちゃん “大盛り”恩返し 腹ペコ常連卒業生20人」は、秋田大学前にあった小さな食堂の話。「(お金は)ある時でいいんだよ」と貧乏学生にツケで食べさせてくれた優しいおばちゃんが、150万円の借金を抱えて店をたたむことに。「オレたち一人一人、4、5万円はただ食いしたようなもんだから」と元常連がカンパを始めると、腹ペコ時代の恩を忘れておらず、約20人からたちまち150万円が集まりました。「店はなくなったが、心の交流が残った」と記者はつづっています。(む)

 

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