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コラム「虫めがね」

「ブギの女王・笠置シヅ子」

 NHK朝ドラ「ブギウギ」の主人公、福来スズ子のモデルとなったのは、エネルギッシュな歌唱で戦後の日本社会を明るく照らした歌手・笠置シヅ子。

 彼女の生涯が垣間見える記事を、当時の読売新聞よりご紹介します。

ヨミダス通信2024年2月号

★三笠静子から笠置シズ子へ

 シヅ子が初めて紙上に現れるのは戦前の1933年(昭和8年)1月11日。「よみうりラヂオ版」内に<恋を探ねて全世界 ラジオ・レビュー「世界を繞る恋」>という見出しで、大阪松竹楽劇部時代のシヅ子らが演じるラジオドラマのシナリオを掲載しています。当時は「三笠静子」という芸名を名乗っていました。

 <大阪松竹楽劇部の花>とキャプションが添えられた写真には、「ブギの女王」となる前の若きシヅ子が楽劇部のメンバーと並び、着物に羽織姿であでやかに収まっています。後のハイヒールにドレスで軽やかにブギを歌い踊る姿からしてみると、少し意外な印象を受けるかもしれませんね。

 次に登場するのは1938年(昭和13年)の広告欄。その時には名を「笠置シズ子」と改め、松竹楽劇団員として東京に進出し帝国劇場の舞台に立っていました。この頃に“一心同体”ともいえる師・服部良一に出会っています。

 シヅ子は歌手時代にはほとんど「笠置シズ子」の表記で活動しており、「笠置シヅ子」となるのは歌手を引退し、女優に専念し始めた頃です。ヨミダスではどちらの表記で検索しても同じくヒットするように揺らぎ語として登録してあります。

 

★スイングの女王からブギの女王へ

 1940年(昭和15年)には<春の歌合戦 淡谷のり子 笠置シズ子/邦楽座>の広告を掲載。同じ服部門下の「ブルースの女王」との競演は、ドラマでも描かれていましたね。

 当時は服部作曲の和製ジャズ・ソングを歌い、シヅ子はまだ「スヰ(イ)ングの女王」と呼ばれていました。

 シヅ子の生涯には深い悲しみも刻まれます。

 戦後の1947年(昭和22年)9月5日<[スクリーン]歌姫と浮世>には、「昨年日劇の『ジャズ・カルメン』を最後に産褥の人となり、日ならずして夫君の訃報を耳にしなければならなかった嘆きの歌姫笠置シズ子は悲しみとみどり児への希望の双曲線のうずの中から再びたちあがった」と、この年最愛の婚約者を病に失い、その半月後に忘れ形見の愛娘を出産、気丈にも初出演の映画「浮世も天国」に臨む姿が写ります。

 シヅ子を「ブギの女王」として知らしめる名曲「東京ブギウギ」が録音されるのは、この直後のことです。

 

★アメリカ巡業と歌手引退

 人気絶頂のさなか、「東京ブギウギ」「買物ブギー」などの曲をひっさげてシヅ子と服部が渡米したのは1950年のこと。ハワイでは「買物ブギー」が大受けで、「彼女が最後に絶叫するがごとく唄う、オッサンオッサンオッサンに爆笑爆笑たゞ爆笑!ついに笠置、オッサンガールのニックネームを頂戴したとかいうことである」(7月2日<人気ソング「買物ブギ」余談 笠置とんだ処でニックネーム頂戴>)と、熱狂的に迎えられました。

 約4か月のブギ行脚を終えて凱旋したシヅ子でしたが、その後はなかなかヒットに恵まれず、1953年(昭和28年)1月19日<[岐れ路]=10 出ない渡米みやげ 笠置シヅ子>では、「“ブギは古い”といわはる人がおますけどなあ、戦後ひろがり過ぎたもンやさかい、“ブギの時代は去った”ちゅう印象を与えるのやないやろか」と寂しげに語っています。

 急速な復興を遂げる日本とともに歩み、一世を風靡したシヅ子は、「戦後」という時代が去ると同時に歌手の看板を下ろしました。

 シヅ子が登場する記事は1970年代以降ぐっと少なくなります。81年にはシヅ子がかつて毎晩のように歌っていた東京・有楽町の日本劇場(日劇)の閉館に駆けつけ、「この舞台から私の一番いい時代を築かせてもらいました」と懐かしみました(同年2月17日<日劇、世相彩った半世紀 戦後の青春わかし>)。

 

 シヅ子が亡くなったのは1985年(昭和60年)3月の終わりのことでした。

 4月1日<ブギの女王 戦後世相へリズムのパンチ 笠置シヅ子さん逝く>には師・服部良一、盟友・淡谷のり子が追悼の言葉を寄せています。70年の生涯でした。4月2日の<編集手帳>では、「暗い世相下〽口笛吹こ 恋とブギのメロディー、は多くの人の心に灯をともした」「三十日夜〽星を浴びて、逝った」と、往年の「東京ブギウギ」の歌詞をなぞり、戦後に燦然と輝いた大スターを悼みました。(真)

 

 

 

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