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コラム「虫めがね」

「若き日の坂本、岡本両選手」

 昨年末に球団創立90年を迎えた巨人軍の屋台骨を支える坂本勇人、岡本和真両選手の若き日々について、ヨミダスパーソナルで振り返ってみました。

ヨミダス通信202502

★初登場は?

 坂本選手の初出は2005年(平成17年)7月1日<目指せ甲子園 青森大会出場校紹介(3)>(青森県版)。この時、光星学院(現八戸学院光星)2年生ながらもショートのレギュラーで、「センス抜群」「安打を期待」と書かれているあたり、さすがです。

 坂本選手は兵庫県伊丹市出身で、野球留学で青森に来ており、この年の秋季東北地区高校野球大会決勝に進出した際には地元の友人たちから「やっと甲子園だね」などと祝福の電話や電子メールがたくさん舞い込んだそうです(<秋季高校野球東北大会12日 決勝で光星サヨナラ負け>=10月13日青森県版)。


 一方の岡本選手の初出は2010年(平成22年)8月5日<全日本中学野球選手権 ジャイアンツカップ 12日開幕=特集>。

 当時、中学2年生ながら、橿原磯城リトルシニア(奈良)のレギュラーメンバーに選ばれており、一つ上の3年生には鍬原拓也投手(元ソフトバンク)の名前もあります。

 のちにプロ野球ドラフト会議で、ともに巨人から1位指名されることになるこの2人の活躍もあって、チームはベスト4まで進出しました<全日本中学野球 橿原磯城 準決勝で涙 神奈川に4—6 初回に大量失点>(8月16日奈良県版)。

 

★甲子園では?

 坂本選手は2006年(平成18年)の第78回選抜高校野球に出場。1回戦で関西(岡山)と対戦、先制打を放つなど活躍しますが、試合は4対6で敗れてしまいました<選抜高校野球25日 光星、粘り及ばず涙 初回先制、8回にも2点>(3月26日青森県版)。

 

 岡本選手は地元・奈良の智弁学園に進み、3年生の2014年(平成26年)センバツ(第86回大会)で甲子園の土を踏みます。初戦で三重高校と対戦、自ら2本塁打を放つなど7対2で快勝しますが、続く2回戦では好投手・田嶋大樹(現オリックス)を擁する佐野日大(栃木)の前に延長10回サヨナラ負け。

 ちなみに、この試合で最後にマウンドに立っていたのは、岡本選手でした<選抜高校野球 智弁 粘り2度同点 8回5連打 延長で涙>(3月29日奈良県版)。投手としてどんな球を投げていたのか興味がわきます。

 

★ドラフト

 坂本選手がドラフトで巨人から1位指名されたのは2006年。

 926日兵庫県版には<高校生ドラフト 伊丹出身の田中投手と坂本内野手、小学時代にバッテリー>の見出しがあります。この田中投手とは楽天、米大リーグ・ヤンキースで活躍し、今年から巨人のユニホームを着る田中将大投手のこと。

 小学校時代に「捕手田中、投手坂本」でバッテリーを組んだことなどが紹介されていて、地域版ならではの身近な情報を楽しむことができます。

  

 一方、岡本選手のドラフトは2014年。

 <プロ野球ドラフト会議 岡本 長打誓う G1位指名 高校通算73本塁打>(1024日朝刊)では「ケガをしない体を作って、一軍でずっと活躍できる選手になりたい」「いずれは本塁打王を取りたい」と話していますが、実際にプロで3度の本塁打王を獲得しているのはさすがです。

 

★一軍初安打

 坂本選手はプロ1年目の2007年(平成19年)7月に一軍に昇格します。

 記念すべき初安打が出たのはそれから2か月後の96日<プロ野球 巨人31中日 坂本12回2死満塁、代打で決勝点>(7日朝刊)。

 

 岡本選手の初安打もプロ1年目の2015年(平成27年)95日でした<プロ野球 DeNA65巨人 G猛追 1点及ばず>(6日朝刊)。

 「岡本が、巨人の高卒新人としては1993年の松井秀喜以来となる本塁打を放った。(中略)打線の起爆剤として8月下旬に一軍に初昇格。プロ3打席目で初安打が本塁打という最高の結果となった」

 

 プロ野球選手だけでなく、将棋の藤井聡太竜王やフィギュアスケートの羽生結弦さんなど、現在いろいろな分野で活躍している有名人をデータベースで検索してみると、若いころの意外な記事に出会うかもしれません。(は)

                    ※ 選手の所属は2025年1月31日現在

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